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rutenさんのコメント
②10代最後の年10月、上京。専門学校へ。
千代田デザイナー学院。最初はイラスト専科という半年の学科。
翌、4月から、デザイン本科(2年)に移る予定だったけれど・・・1年半働いて稼いだお金も足りなくなり、4月から半年間のレタリング専科に入学。
この頃、出会った人が作るという、マンガ研究会?「新漫画集団」に参加する。
月刊で半年ほどの活動。
そうこうしてるうちに、マンガクラスというのが出来るというので、レタリング科失業後半年間(10月~3月)親に生活のお世話になって、1973年4月に〈まんが専科〉といったけ?(1年間)に入学。
千代田デザイナー学院。最初はイラスト専科という半年の学科。
翌、4月から、デザイン本科(2年)に移る予定だったけれど・・・1年半働いて稼いだお金も足りなくなり、4月から半年間のレタリング専科に入学。
この頃、出会った人が作るという、マンガ研究会?「新漫画集団」に参加する。
月刊で半年ほどの活動。
そうこうしてるうちに、マンガクラスというのが出来るというので、レタリング科失業後半年間(10月~3月)親に生活のお世話になって、1973年4月に〈まんが専科〉といったけ?(1年間)に入学。
12/05 22:56:20
rutenさんのコメント
③1973年千代田デザイナー学院在学中は半年ほどして、クラスで同人誌を作ろうということになり、3組くらいに別れて、同人誌づくり。湿式青焼きコピー機「コピラス」(任天堂が1971年に発売、当時買って実家で眠っていたのを活用)自分たちのため複数コピーしたり学祭用に本を作ったりしていた。
その年、11月「楽書荘」という好きに何を書いてもいい、ページも自由で参加者書き手配布の青焼きコピー誌を作る。参加者は10名も行かないマンガクラスの生徒中心。楽書と言うのは自由に楽しく描きたいということだったと思う。荘と言うのは、アパート形式でそこに住んでいるように部屋わけして、原稿を描いてもらっていた。「トキワ荘」とか頭にあったかもしれない。トキワ荘といえば、「トキワ荘」解体で当時住んでいた人たちが集まる番組があるけれど、その冒頭に、千代田のマンガクラスの生徒が聖地巡礼よろしくトキワ荘を訪れるシーンがある。この何年も先ですが、僕らの時はそんなことはなかった。せいぜい、ゲストで永島慎二さん、水木しげるさん、凡天太郎さんが講師が来られたことくらいでしょうか・・・。
その年、11月「楽書荘」という好きに何を書いてもいい、ページも自由で参加者書き手配布の青焼きコピー誌を作る。参加者は10名も行かないマンガクラスの生徒中心。楽書と言うのは自由に楽しく描きたいということだったと思う。荘と言うのは、アパート形式でそこに住んでいるように部屋わけして、原稿を描いてもらっていた。「トキワ荘」とか頭にあったかもしれない。トキワ荘といえば、「トキワ荘」解体で当時住んでいた人たちが集まる番組があるけれど、その冒頭に、千代田のマンガクラスの生徒が聖地巡礼よろしくトキワ荘を訪れるシーンがある。この何年も先ですが、僕らの時はそんなことはなかった。せいぜい、ゲストで永島慎二さん、水木しげるさん、凡天太郎さんが講師が来られたことくらいでしょうか・・・。
12/05 23:20:11
rutenさんのコメント
④1973~1974。
講師の針すなおさんには、同人誌を作ろうとした時、積極的でなかったのですが・・・それは、たやすく印刷になってしまうことに対してだと、本に載るの(プロ)はそんなに甘いものではないということでしょう。その後の同人誌の盛況を見るとあながち違ってはいないように思ったりもした。
ともあれ、専科で授業時間も少ないので、自主勉強?ということで、同人誌づくりをしていた・・・違うか(^_^;)。
1974年、3月。マンガ専科卒業。このまま、卒業で離れ離れも寂しいと、「楽書荘」の継続系で庵的な親睦と交流の場所として「楽書庵」を発行する。表紙は千代田デザイナー学院マンガクラスの生徒に(順に描いてもらう1期?昼間部~夜間もあったと思うが不確かで交流はない~卒業していない人も含む)。
講師の針すなおさんには、同人誌を作ろうとした時、積極的でなかったのですが・・・それは、たやすく印刷になってしまうことに対してだと、本に載るの(プロ)はそんなに甘いものではないということでしょう。その後の同人誌の盛況を見るとあながち違ってはいないように思ったりもした。
ともあれ、専科で授業時間も少ないので、自主勉強?ということで、同人誌づくりをしていた・・・違うか(^_^;)。
1974年、3月。マンガ専科卒業。このまま、卒業で離れ離れも寂しいと、「楽書荘」の継続系で庵的な親睦と交流の場所として「楽書庵」を発行する。表紙は千代田デザイナー学院マンガクラスの生徒に(順に描いてもらう1期?昼間部~夜間もあったと思うが不確かで交流はない~卒業していない人も含む)。
12/06 18:50:27
rutenさんのコメント
もちろん、詩歌/文学における同人誌/サークルてきなもの(アララギとか)は知っていましたけれど。
高校の頃、美術部だったんですが、その先輩が、学校のファックス印刷機を使ってマンガの自費出版本を作っていました。個人的には、弟とメモ用紙にマンガを描いて閉じたりして本っぽくしたものを作っていました。