05/28: 楽書帖「花の巻」
05/27: 2006年8月27日
05/16: 楽書館の歴史
●楽書館*出会い編(参加者を中心に発行本とその活動)●01 水野流転
水野が当時創設された千代田デザイナー学園まんがクラスに入学したのは1973年4月のことである。
当時、コピラスという青焼きコピー機(当時1万程度ではなかったか)が浸透し始めた頃でしょうか。この発明?のおかげで手軽に安くコピーが出来るようになり(作業は面倒だが)、同人誌活動(複製出版)に勢いがついていた頃まんがクラス内でもグループ分けなどして参加者の分だけコピー本を作ったりしていた。それとは別に有志を集めて近況雑記(書きたいものを書く)をまとめた。コピー誌を月刊で発行。
1973年11月「楽書荘」Vol.1 発行。
★水野るてん★朝香光★高橋きいち★Yosiko Koga★正保ひろみ★飛鳥友美★無骨死
狂★谷原俊二
同12月「楽書荘」Vol.2(新参加)
★みっしい(故人)★河原サム★濱砂敏成
1974年1月「楽書荘」Vol.3
★加藤真理子★小島きみ子
同3月「楽書荘」Vol.5
★後藤敏博★吐夢宗也
「楽書荘」は、卒業とともにVol.6で終了。
「千代デまんがクラス」の同級生というファーストコンタクトです。
みごと今どうしているのか交流のない人ばかりですね。「楽書」名義の活動なので組み込んでいますけど前史(笑)としてここははしょって進めたいと思います。上記近況とか知ってる人は話題にして下さい。
補)今、千代田デザイナー学園がどうなっているかよく解りません。同まんが科卒業生という方にも出会いましたが、どうも僕らのクラスと流れが違うようで・・・。加えて昔授業を受けたビルは別の会社が入っていました。
「千代デまんがクラス」で思いだされるのは、永島慎二、水木しげる各氏が特別講師で来たことか・・・。
◆1970年前後の周辺同人活動
九州の漫研「あず」は1966年創設。
新潟の「日漫研(日本漫画研究会)」は1970年発会。
チャンネルゼロ創立は1974年。
コミケ第一回は1975年暮れ。
次号、出会いは続く・・
水野が当時創設された千代田デザイナー学園まんがクラスに入学したのは1973年4月のことである。
当時、コピラスという青焼きコピー機(当時1万程度ではなかったか)が浸透し始めた頃でしょうか。この発明?のおかげで手軽に安くコピーが出来るようになり(作業は面倒だが)、同人誌活動(複製出版)に勢いがついていた頃まんがクラス内でもグループ分けなどして参加者の分だけコピー本を作ったりしていた。それとは別に有志を集めて近況雑記(書きたいものを書く)をまとめた。コピー誌を月刊で発行。
1973年11月「楽書荘」Vol.1 発行。
★水野るてん★朝香光★高橋きいち★Yosiko Koga★正保ひろみ★飛鳥友美★無骨死
狂★谷原俊二
同12月「楽書荘」Vol.2(新参加)
★みっしい(故人)★河原サム★濱砂敏成
1974年1月「楽書荘」Vol.3
★加藤真理子★小島きみ子
同3月「楽書荘」Vol.5
★後藤敏博★吐夢宗也
「楽書荘」は、卒業とともにVol.6で終了。
「千代デまんがクラス」の同級生というファーストコンタクトです。
みごと今どうしているのか交流のない人ばかりですね。「楽書」名義の活動なので組み込んでいますけど前史(笑)としてここははしょって進めたいと思います。上記近況とか知ってる人は話題にして下さい。
補)今、千代田デザイナー学園がどうなっているかよく解りません。同まんが科卒業生という方にも出会いましたが、どうも僕らのクラスと流れが違うようで・・・。加えて昔授業を受けたビルは別の会社が入っていました。
「千代デまんがクラス」で思いだされるのは、永島慎二、水木しげる各氏が特別講師で来たことか・・・。
◆1970年前後の周辺同人活動
九州の漫研「あず」は1966年創設。
新潟の「日漫研(日本漫画研究会)」は1970年発会。
チャンネルゼロ創立は1974年。
コミケ第一回は1975年暮れ。
次号、出会いは続く・・
05/14: 2006年8月13日
東地区
“ヨ”ブロック-11b。
お待ちしております!
終了しました。
ご来場くださった皆様、ありがとうございました。
05/05: 最新刊
サードシーズンの楽書帖最新号「夏波の巻」8月29日のコミティアにて刊行します!通算23冊目の楽書帖!楽書館35+1周年号と名打ち表紙は高野文子さんの33年前のイラスト!デザイナー、イラストレーターの横山ひろあきさんが初参加です!お楽しみください!